モノが発生と同時に内包している「死」を視る事が出来る眼。
死の一歩手前までいき、更にそこから生還して「死」を理解することで、脳の「回線」が開き、極めて低い確率で身に付く。
「死」は、モノが死に易い線「線」と、線を流している大元・死そのもの「点」となって見える。
線を切れば、モノの硬度に関係なく切断でき、点を突けば、如何なるモノも「殺す」ことができる。
(「死線」を見ることができる者でなければ死線などを切っても殺すことはできない。)
この眼の恐ろしい所は、「モノの命を殺す」のではなく、「モノの意味を殺す」という所。
「死者」でも、「死者」としての意味を持つ以上「殺害」でき、その気になれば「不死身の怪物」だろうが
「軍隊」だろうが「混沌」だろうが「世界」だろうが「星」だろうがナイフの一突きで殺せる(「点」を見つけるのが大変だが)。
「モノを切って殺す」のでなく、「モノを殺して、結果として切れる」らしい。
志貴の場合、どう考えても「17分割」より、「ナイフの一突き」の方が強いはずなのだが、何故か前者が優遇される。
「死」を見ることは脳に極度の負担が掛かり、素の状態だと発狂してしまう。
志貴は普段、幼少の頃「先生」にもらった「魔眼殺し」の眼鏡で「死」を見えなくしている。
:「―――――教えてやる。これが、モノを殺すっていうことだ」
能力としてのレベルは両義式のモノの方が上位だそうです(公式設定)
実際、式は荒耶宗蓮の「結界」や浅上藤乃の「歪曲」といった、能力そのものすら「殺す」ことができます。
また藤乃と対峙したとき、彼女の能力を「緑色と赤色の螺旋」と表現しており、
式に見えるのは「点と線」以上のものです。
式曰く「万物には全て綻びがある。人間には言うに及ばず、大気にも意志にも、時間にだってだ。
始まりがあるのなら終わりがあるのも当然。オレの目はね、モノの死が見えるんだ。
だから――生きているのなら、神さまだって殺してみせる」だそうで。
後、志貴も式も普通に「物の死」を見ています。特に式の方は魔眼封じの眼鏡なんて使ってません。
彼らはより深く点や線を見極めようとするとき、脳に過度の負担がかかるようです(対象が強大なほど負担も大きい)。
志貴は自ら「死」を見ようとすると眼が青くなる。
また、「直死の魔眼」はライダーの「石化の魔眼」と同じように協会においてノウブルカラーという特例に認定されている。強力な魔眼はノウブルカラーとされるが「直死の魔眼」については詳細は不明。
(柳島英志さん、OHさん、nrvnqsrさん、叛多亜さんより)
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